ロシアレポート その1(10/4〜5)

  • 2007/10/13(土) 00:38:19

<4日>
早朝、母と共に大きなスーツケースをゴロゴロさせて、成田空港へ。
成田空港にて、スタッフの根岸さん、筝奏者の山野安珠美さん、尺八奏者の元永拓さんと対面。
9:30、仁川国際空港(韓国)へ向けて成田を発つ。
11:55、韓国にて、名古屋から来た三味線の高橋竹大さんと合流。
大阪からの刀鍛冶の職人・池田さん一家と、堺市の職員の方も合流。
2時間待って、韓国を発つ。約9時間のフライト。かなり空いていて、座席に横になって寝れた。
ロシア時刻18:50、プルコヴォ空港(サンクトペテルブルグ)到着。
ここで事件!日本刀が通関でひっかかる・・・。1時間交渉したが、ダメ。仕方なくこの日は空港に残す。
アパートまで、車で30〜40分程走る。街中のほとんどの看板や表示がロシア語で、何が書いてあるのか全く分らない。予想もつかない。
女性アパートは、ネフスキー大通りのすぐそば。
モイカ運河沿いで、美術館やエルミタージュ劇場まで徒歩7〜8分のかなりいい場所。
シャワーを浴びて、就寝。
乾燥対策に、母が、鍋に熱湯を入れて、枕元に置いてくれた。マスクを湿らせて寝た。(毎日の日課)
寝たのに、蚊のおかげですぐ起きる。顔を2ヶ所刺された・・・。あらら。
2匹やっつけてまた寝る。
翌日聞いたら、蚊は各部屋にいたらしい。寒いのに、ロシアの蚊は強いな。

<5日>
また蚊で、起きた。
10:30、美術館まで全員で歩いて向かう。
私の本番は16:00なので、それまで美術館職員食堂でゆっくり食事をして、他の出演者のコンサートの様子を見学。
美術館内が広すぎて、迷路のようで、ぐるぐると迷う。ちょっと歩き疲れた・・。
14:00過ぎ、狭く薄暗い楽屋で、振袖に着替える。
着物を着ても苦しくないように、歌いやすいように、母が工夫しながら着付けをしてくれる。(←母はこの毎日の着付けのために遥々ロシアまでやってきた)
さぁ、いよいよ。
15:00紋章の間にて、エルミタージュ美術館オーケストラ(40人編成)とリハーサル。
紋章の間はかなり広く、天井も高くてよく響く。黄金の柱が何十本も並んでいる。
そこへ赤い振袖で歩いているとかなりの注目度。時々日本人とすれ違う。
若くてハンサムな指揮者とは、言葉が通じないが、なんとなく雰囲気で意思の疎通。
わからない時は、「ん?」って言って、首をかしげてニコニコしてたら、指揮者は「ま、いいや」って顔してた(笑)
16:00お客さんが紋章の間の周りの椅子にぐるりと座っている。
今回の芸術祭の監督兼指揮者でもある藤野氏に「何にも心配しないで。いつも通りに、無理せず、好きなように、自由に歌えば大丈夫!」と心強い言葉を頂く。
ロシア人ソプラノ歌手・ミルトヴァさんが2曲オペラアリアを歌ったあと、いよいよ私の番。指揮者に目で呼ばれる。
・島原地方の子守唄
・五木の子守唄
・モスクワ郊外の夕べ(ロシア語)
・バイカル湖のほとり(ロシア語)
・ソフィアの子守唄(ミルトヴァさんと)
オーケストラの伴奏は初めてだったが、そても気持ちがいい。壮大。
日本人のお客さんがちらほらいて、いつも通り歌おうと心が落ち着く。
自分自身は、思っていたより、ずっと冷静だった。
あんまり緊張していない自分に、歌いながらスゴイと思った。
響きのよさや、オーケストラのお陰で、出来ばえはGOOD!
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指揮者は目が合うたびに微笑みかけてくれて、時々ウインクをして、私に「大丈夫だよ!」と、励まし続けてくれた。
終演後、いろんな国の方々に話しかけてもらい何人かサインを求められちゃったりした。
みんな「あなたの声は素晴らしいわ」って言ってくれた(と思う。何せ皆ロシア語か英語)
一緒に歌ったミルトヴァさんは「銀の声」と評してくれた。

着替えて、出演者みんなで街へ。でも男性アパートが見つからず、男性2人は、アパート探しに行く。(後から聞いたら地図が間違っていて、結局2時間も探し回ったらしい)
それで、女性だけで、食事へ。
この日は藤野さんオススメのコーカサス料理を頂いた。
香辛料やパクチで、母は苦手そうだったが、美味しいものもあってよかった。
メニューはロシア語と英語で書いてあったうえに、みんな写真が載っていたので、セーフ。
帰って、就寝。この日は蚊がいなかった。快眠。

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